阪神淡路大震災の直後、私はアマチュア無線を使って被災地の連絡網を立ち上げるために神戸市役所を拠点にボランティア活動させていただいた経験があります。
当時もアマチュア無線の業界で働いており、勤めていたハムショップの社長と私を含めた従業員数名でアマチュア無線でなにか役に立つことが出来ないかと・・・
関係省庁やJARL、日本赤十字などに連絡をした結果、日赤のボランティア隊員として無線設備の設置をしていただきましょうと言うことになりました。
すぐさま第一陣の出発準備です。
店にある無線機、アンテナ、電源、同軸などを数セット積み込んで日赤大阪へ。
そこでボランティア登録を済ませ、日赤の緊急車両を先頭に現地に入りました。
地震発生から2日目の夜だったと記憶しています。
現地に入る前にはテレビの報道で状況のすごさを見ていました。
大阪を出発し、赤色灯を回した緊急車両に続いて支援車両専用レーンや高速を走る。
神戸に近づくに連れてテレビで報道されていた光景が自分の目に直接飛び込んでくる。
うわぁ~とか、すごいなぁ~とか言っていたものの、すぐに声も出なくなるほどのすごさを感じるようになってきた。
当時はまだ若僧でした。(今でもまだまだ若僧ですが・・・)
どこかに見物気分でいる自分が居たんだと思います。
そりゃ大きな災害なんて経験ないし、戦場のような光景は映画でしか見たことないですから仕方なかったのかもしれません。
でも神戸市役所(災害対策本部だったと思うが!?)に到着し、すでに活動してらっしゃる皆さんの様子や被災された方の顔をみると一瞬で目を覚ましたと言うか・・・
見物気分なんてとんでもない!! なにをしに来たのかわかってるかと言い聞かせてすぐさま活動に入りました。
神戸市役所といくつかの避難所にアマチュア無線の設備を設置し、対策本部と避難所間の通信を確保しました。
私たちは数日間程度ですが、無線局の運用をお手伝いし、その後は現地のハムの方や日赤無線救護隊(だったと思う)の方たちに引き継いで活動を終了しました。
その頃には特別措置として口頭による免許申請、許可により8J3***のコールが発給されていたと記憶しています。
アマチュア無線を設置するまでは言うまでも無く連絡網は全滅で人が走っていくしかなかった状態です。
各都道府県やら企業から支援物資が届くものの、食料ばかりが届く避難所、毛布ばかり届いて食料が届かない避難所などがあったようです。
余談ですが、関東方面から支援物資を積んでこられた10tトラックの運転手さんが、おおかた一日荷物を下ろすことも出来ず空腹を我慢して待機されてる事もありました。
事情を聴くと、神戸市役所へ届けろとの指示だけで来たが、荷物を下ろす場所が決まらないので待ってくれといわれたままなんですと。
運転手さんも寒い中エンジンを掛けず(帰りのガソリンが無くなる)空腹も耐えてじっと待っておられました。
コンビニやスーパーにもなにもありませんから買うことすら出来ません。
こんな状況で被災者の皆さんが頑張っておられるのにおなかがすいたって言えませんからって言っておられました。
その運転手さんには私たちが持って来ていたカップラーメンを食べてもらいましたけどね。
今回の東日本大地震の報道を見て、神戸の事を思い出しています。
東北地方の災害は日が経つに連れて神戸の非ではないことがわかってきました。
そんな大災害の中、被災された方は必死になって家族や仲間を探し生きておられるんだと思います。
遠くから頑張ってくださいと言うのはすごく簡単なんですが、そんなことを言われなくっても必死で頑張っておられるはずですよね。
今の自分には小さなことも出来ないかもしれませんが、被災された方が少しでも早く一息つける日が来るように応援できればと思っています。
休んでる暇なんてない!みんな必死なんやと言って活動されていることでしょう。
でもホントに身体も心も一息つける日が一日でも早く来ますようにお祈りいたします。
ウチの社長とご飯のねだりに来る野良猫ちゃん。ちょっとでも癒しになるでしょうか!?
ずっと凹んでいるわけにもいきませんので、明日は今年一発目のアンテナ工事に行ってきます!!
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